カテゴリー:おしらせ 地域情報 | 更新日:2018年10月23日
おまんとについての記事を紹介します。 愛知といえば、三河馬という在来の馬が生産されていた馬産地。 三河馬の歴史は古く、長篠の戦(1575年)では、三河の徳川氏が軍用として自国産馬のみを 使っていたという記録が残っています。 また祭典の折には毎年良馬を選んで飾り上げ、神馬として社寺に献上することが名誉とされていました。 東海道五十三次には池鯉鮒(ちりゅう=塔(うまのとう)」これは雨乞いや豊作を祈願して、 神の依り代(よりしろ)となる御幣(神祭用具の一つで、紙または布を切り、細長い木に挟んで垂らしたもの)を背に乗せ、飾り馬具(鈴をつけた鞍「鈴鞍(れいくら)」や花などで飾り付けた馬具)をつけた馬を社寺に奉納するという「飾り馬献納」と馬場で馬を走らせる「走り馬」の2つの行事による祭礼で、その表記は「ウマノトウ」「オマントウ」「オマント」「おまんと」となっていきます。 古くは熱田神宮の「熱田の走り馬」がこの地で発展を遂げたのが「おまんと」だと言われているようです。
おまんとについての記事を紹介します。
愛知といえば、三河馬という在来の馬が生産されていた馬産地。
三河馬の歴史は古く、長篠の戦(1575年)では、三河の徳川氏が軍用として自国産馬のみを
使っていたという記録が残っています。
また祭典の折には毎年良馬を選んで飾り上げ、神馬として社寺に献上することが名誉とされていました。
東海道五十三次には池鯉鮒(ちりゅう=塔(うまのとう)」これは雨乞いや豊作を祈願して、
神の依り代(よりしろ)となる御幣(神祭用具の一つで、紙または布を切り、細長い木に挟んで垂らしたもの)を背に乗せ、飾り馬具(鈴をつけた鞍「鈴鞍(れいくら)」や花などで飾り付けた馬具)をつけた馬を社寺に奉納するという「飾り馬献納」と馬場で馬を走らせる「走り馬」の2つの行事による祭礼で、その表記は「ウマノトウ」「オマントウ」「オマント」「おまんと」となっていきます。
古くは熱田神宮の「熱田の走り馬」がこの地で発展を遂げたのが「おまんと」だと言われているようです。